薪窯づくり4 生まれ変わる窯

旧旭川温泉の浴場があった場所を窯場にしようと考えてから3年。
ようやくコンクリートで仕切られた壁や浴槽などをすべて壊すことが出来ました。
ハンマー、削岩機、コンクリートカッターなどフル活用で自力での工事でした。
いよいよ薪窯を作る段取りが始まります!

でも、、、その前に、、、、。

突然ですが、実は、、薪窯をすでに僕は持っていました。
平成21年2月に他界された陶芸家平塚昌男先生から受け継いだ窯です。
平塚先生とは若い頃に陶器市でよくご一緒する機会がありました。
平塚先生は北海道の南部、襟裳岬近くの様似町で作陶されていました。

窯は町内の馬の育成牧場の敷地を間借りして築かれたものでした。
平塚先生がお亡くなりになってからしばらくして、土地の所有者が窯を僕に譲りたいと連絡を頂きました。
窯は半地下式の穴窯で、信楽の修行先で使っていたものと形態は同じでした。
平塚先生は「赤蝦夷焼き」というものをテーマに作陶されていました。ベースは信楽の粘土による焼き締めと推察します。
穴窯は、燃料を燃焼させるところと作品を置くところが一緒の空間の窯で、一方方向からの強烈な火焔の流れによって器物に豊かな表情を持たせられるのが特徴です。平塚先生の狙いもそこにあったと思います。しかし、穴窯は薪の使用量が多く、非常に温度のコントロールの難しい窯です。近年は煙突前に捨て間を作っていくらかコントロールし易くされる方が多いようで、この窯にも捨て間が築かれていました。

一度だけ、旭川の工房から作品を運んでこの窯を焚いてみましたが、案の定コントロールが難しく僕の狙い通りの焼き方が出来ませんでした。そもそも、北海道の粘土を使って釉薬を掛けてうつわ作りをしている僕にとっては安定した温度上昇ができる登り窯の方が向いているように思います。

旭川から片道6時間をかけて通うことも現実的に難しいので、窯を移築することにしました。
平塚先生が丹精込めて築かれた窯を解体するのは心苦しいのですが、僕が引き継ぎ利用することを知れば、きっと喜んで下さるだろうと思い、木槌を振りました。

窯の他に窯場や薪小屋もそのまま放置せずにすべて解体しました。
先輩陶芸家が夢を形に、、、その片付けは後輩陶芸家の責任のようにも思います。
綺麗いさっぱり。

耐火煉瓦や薪、木材など、トラックに積み込み旭川まで4往復してすべて運びました。
僕の夢の跡は誰が片付けてくれるのかな、、、、楽しみです。

薪窯づくり3 現れた!大空間と秘密の部屋

相変わらずマイナス10度以下の環境ですが、大浴場の壁壊しを続けています。
途方もなく続く作業と思われましたが、少しづつ確実にスペースが広がって、いよいよあとはサウナ室の壁を残すのみとなりました。
そして、大浴場の天井をはがし、断熱材を取り除くと、、

想像以上の大空間が広がりました。

真ん中の煙突は、かつてボイラーが繋がっていたもので、この煙突は壊さずに残して、灯油窯を3台、ガス窯を1台繋いで活用しようと考えています。その他に電気窯5台もこのスペースに設置できれば、窯場として完璧です。手前のスペースには登り窯を作る予定です。、、、こんなに窯を持っていて自分でもあきれています。
しかし、窯によって焼き上がりの感じがかわってくるもので、それぞれの窯は、それなりに活用方法があるんです。
作るものによって、窯を選択する事が出来るのは陶芸家としては嬉しいです。
これらも早くフル回転させたい!

2つあるサウナ室の一つを完全に壊してみたところ、なんと、その床の下に地下室を発見しました。

もしや財宝でも、、、、と思って覗いてみましたが、ただ水が入っているだけでした。
かつては、お湯を引き入れて、上のサウナ室に蒸気を出す役目をしていたのかもしれません。
結構広い空間なので活用の仕方もありそうです。
ワインとか日本酒をストックして、窯焚きでは酒盛りとか、、、
地下は冬でも凍る事がないので、粘土の貯蔵にも使えますね、、、
予期していないものを発見する楽しみが、この旧旭川温泉にはたくさんあります。
 

薪窯づくり2 立ちはだかる壁

2013年11月から、再び大浴場の壁壊しに挑み始めました。

大浴場の壁は鉄筋コンクリートに全面タイルがボンドのようなもので貼られていて強度が増しています。
構造的にはいい事なのでしょうが、それを壊すのは大変。
ハンマーでたたいて壊していては時間と労力がかかります。
立ちはだかる壁には文明の利器を!
思い切って機械を購入しました。
まずは、電動ハンマー!!

この電動ハンマーの威力は凄まじいものです。電動で振動を起こして砕いていくので、ただのハンマーに比べると3倍ぐらいの能力。しかも楽。難点は、これメチャクチャ重たいんです。20キロ近くもあって、とてもじゃないけど両手で持ち上げて壁を砕く事はシュワルツェネッガーでもない限り無理。動作した時の衝撃も機関銃のように凄いものです。(機関銃撃った事ないけど、、、)
いろいろ試行錯誤した結果、ワイヤーを天井の鉄骨に張って、ワイヤーにレバーホイスト(手動式のウィンチ)を引っ掛けて、写真のように電動ハンマーを設置しました。これは、思いのほか作業効率がよく、左右、上下の移動も楽でした。
といっても重労働なのは間違いありません。
一日ガンガン砕いていると電動ハンマーを押さえている手が、衝撃の反動で、おかしくなります。
血液が分離されるのか、、、、異常に冷たくなったり、筋肉がけいれんしたり、、、、
道路工事や解体作業で、こういう仕事を毎日されている方のご苦労が身にしみます。
あまり、この作業ばかりしていると肉体がおかしくなるので、他の仕事も平行しつつガンガンやっています。

もう一つ、文明の利器が大活躍しています。
コンクリートカッター!

ダイヤモンドカッターの刃をエンジンで回転させ、ズバババーーーーーと鉄筋もろとも切断。
内部の鉄筋を切断してしまってから電動ハンマーで砕くことで、かなり作業がはかどります。
とっても頼もしい味方です。
ただ、、、、こちらにも少なからず問題があります。
現在、作業スペースは外気温と同じなので、だいたいマイナス5度〜マイナス10度です。
水を噴射させながら切断するコンクリートカッターを使用すると、出した水が凍ってしまうのです。
しかも、ホースや機械の中で水が凍ってしまわないように、水は止める事が出来ませんので、流しっぱなしにします。排水できなければ作業スペースは、スケートリンク状態になってしまうのですが、この問題は幸運にも、ここがかつて大浴場だったので床面の排水は完璧なので回避する事ができました。
しかし、飛び散る水は凍ります。体に降り掛る水しぶきはどうにもりません。身が凍る寒さとはこの事です。
真冬ではなくて、真夏にしたい作業です。、、、、さぶ〜〜

とにかく開拓精神!情熱を燃やして立ちはだかる壁をどんどん撃破しなければ、、、、、、
道は開けない!

薪窯づくり1 大浴場改造

2012年夏から薪窯を築く準備を着々と進めてきました。
薪窯を作る場所ですが、旧旭川温泉の大浴場にしました。
この大浴場は鉄骨で出来ており、2カ所の大浴場とボイラー室を合わせると3段の登り窯が2基ほど出来るスペースがあります。
特に浴場は基礎がしっかりとしたコンクリートになっており、冬場に凍結して地面が上がってしまう心配がありません。
冬にマイナス30度にもなる旭川では、もし地面に窯を直接つくってしまったら、凍結した地面が膨張して窯を押し上げて歪ませてしまうのです。
この大浴場を利用するにあたって、大きな問題があります。
それは2つの大浴場とボイラー室、サウナ室2つが鉄筋コンクリートの壁で頑丈に仕切られていることです。
これらの壁を壊さなくてはなりません。
調べてみると構造上は壊しても建物への影響はありませんので、さっそくハンマーを力の限り振り回してガンガンたたいて砕いてみました。

この一つの壁面を砕くのに3日間もかかりました。
真夏の作業で汗が滝のように流れてヘロヘロ、、
過酷な作業という事を思い知らされました。
2012年はこのまま過ぎました。

2013年
この大浴場の屋根は、相当に痛んでいて大穴がたくさん開いています。
雨が降ると滝のように大浴場に降り注いでしまいます。
壁壊しの前に屋根を直す事にしました。

痛んだところをズバッと切断

痛んだ鉄骨を切断して、新しい鉄骨に溶接して繋ぎ、
錆び止め塗装後に下地に合板を張って、波トタンを貼りました。

これで、ひとまず問題解決。

そして、再び立ちはだかる浴場の壁に戻ります。

薪窯づくり プロローグ

薪窯を築き、土を焼く。これは16歳で陶芸を始めてからの憧れでした。
僕は黄瀬戸や豪快な志野茶碗で知られる加藤唐九郎先生の窯焚きの写真を雑誌から切り抜いて、自室に飾って眺める高校生でした。
高校の部活で陶芸をやり始め、いろいろ知っていくうちに、粘土そのものを窯で焼き上げる信楽焼や備前焼に興味を持つようになりました。これは高校時代に知り合った備前焼作家の川端文男先生や信楽焼作家の神山清子先生の影響が大きくあります。

高校卒業後は神山清子先生に師事しました。作業場の2階に住み込み、内弟子として生活を共にさせていただいた3年間の修行生活は、陶芸に対峙する神山清子先生を、もっとも近くで感じ取ることのできた貴重な時間となりました。
美しい青みがかった自然釉に覆われた神山清子先生の作品は信楽の粘土を半地下式穴窯で2週間以上も高温で焼き続けることによって、器物に積もり積もった灰が粘土の中に入っている成分と融合して自然と溶け出したもので、まさに炎の芸術です。
窯の中で作品が少しずつ炎に焼かれて、輝きながら刻々と変化する様子を窯焚きをしながら見つめ、薪窯への憧れを僕は強くしました。

修行後、新天地を求めて信楽を離れて北海道の剣淵町という人口4000人ほどの町に移り住みました。ここには粘土があると聞いたからです。そして、平成9年に薪の窯を初めて作りました。
古い電信柱を知り合いから譲っていただき、それを柱にして波トタンで屋根を葺いて窯場を作りました。(今思うに粗末な構造でした。)
そして耐火煉瓦を購入し、小振りの穴窯を作りました。この窯は温度ムラがとってもあって、3回ほど焚きましたが結局思うようになりませんでした。その後、焚き口の上に煙突があり、炎が窯の中でターンして焚き口上部に戻ってくる構造の窯も作りました。こちらはムラも少なく3年間使いましたが、だんだん仕事が忙しくなり、薪づくりが間に合わず、結局灯油のロータリーバーナーを焚き口に突っ込んで使っていました。
この窯は引っ越しする時に、すべて撤去してしまいました。壊した窯の耐火煉瓦は今でも大切にとってあります。

それにしても、陶芸家の引っ越しというものは大変です。
その当時ですと、薪4トン、耐火煉瓦2000個、カオリンや長石などの原料1トン、粘土2トン、その他に土練機などの機材などなど、、、、移動は恐るべきものでした。この移動は知り合いから2トントラックを借りて、すべて自力でやりました。

しかし、引っ越しして1年で引っ越し先の飲み水が飲めなくなって、翌年にはまたもや引っ越。今度は電気窯2基、土練機ももう一台加算、おまけにカオリンを1トン購入したばかりでした。それ以来、引っ越さなくてもいいように土地を所有する事への執着が強くなり、土地を所有した後に薪窯は作ろうと決意を固めました。

そして、ようやく2年前に念願かなって旭川に土地を所有する事が出来ました。しかも旧旭川温泉という広い屋内空間と4000坪という敷地面積。これからの人生。思う存分の事が出来そうな素晴らしい場所です。

ということで、前振りが長くなりましたが、ようやく薪窯作りが始まります。